謹賀新年

謹賀新年

あけましておめでとうございます

昨年はお世話になりました

本年もよろしくお願いいたします

たくさんの人に出会い、素晴らしい料理にも出会いました

今年も美味しい!素晴らしい!究極!今まで食べたことのない!料理を研究発表していきます

今年もよろしくお願い申し上げます

嗅覚がなくなる

昨年後半 風邪を引いていっとき嗅覚がなくなって全ての匂いがわからなくなりました

古い映画ですが「パリのレストラン」というのがあリ、好きで何度か見て覚えているところもたくさんあり、主人公の子供が夜中にダンベの上でフォアグラのテリーヌを食べて食べて眠ってしまうシーン、

マダムがお客様のオーダーを聞いて、提供する時に誰が何を頼んだか全て覚えていて次から次に皿を出していくシーン

金持ちや夫婦や乞食などもお客様で一切差別しないことなど、現代のレストランでは忘れてしまっていることをたくさん思い出しました。

その映画の主人公のお父さんはパリでレストランをしていたのですが、閉店することになり、

最後の晩餐を家族やお客様と過ごす・・・という内容です。

閉店するきっかけは料理長のお父さんが癌を患い自慢の嗅覚がなくなってしまって、料理を続けていけなくなったのが原因です

素晴らしい映画で、フランス映画らしく様々な人たちの葛藤や情緒的な映像がたくさんあります。

全く匂いのない世界

バターケーキ

台所で咳き込みながらコーヒーを入れて・・トイレに行った時に気が付いたのでした

うん!   トイレの匂いがしない・・・・・・

台所に戻ってみかんの皮を向いて鼻に近づけてもみかんの匂いが全くしない!

冷蔵庫の中のいろんな物の匂いを嗅いでも全て何も感じない、醤油も納豆も何も匂いがない

鼻をかみすぎたのだろうか、匂いがない、匂いを感じない

やば!何もわからない

みかん畑

どうなるんだろう?

本当に風邪なのか?

このまま戻らなかったらどうしよう

料理人が嗅覚ないんじゃどうすればいいんだ!

画家の色がが見えなくなってしまったら?

ドライバーの音が聞こえなくなってしまったら?

ギタリストの耳が聞こえなくなってしまったら

それでも頑張っている人たちがたくさんいて作品を残しているが

まさか自分もそうなるのか

偉人にはなれない

これじゃ料理は作れない

引退か?

朝日

しょうがないからしばらく観察してみたのです

匂いがなくなると・・・・どこに行っても静かなんです、いつも嫌な思いをしているドブ川の匂いもなく、すき家の前を通るときのへんな牛丼タレの匂いも、パン屋さんの香ばしい香りを嗅いだときの喜びも

と観察してみると

好きなことの匂いが感じないばかりじゃなくて

嫌なことも、今まで臭いと毛嫌いしていたことも全てがなくなるので結果的には「災い転じてて福となす」

と思えるようになりました

今日は死ぬにはいい天気だ

やぎ

そうすると案外気楽に考えられるようになって

匂いがわからなくても味はわかる

手の感覚も、色もまだまだ五感は働かせる

かえってひとつないことでそれ以外の五感を研ぎ澄ませることが出来るなら・・と思うようになって

よし!今度は食べる前の感触を大切な味覚にするにはどうしたらいいのだろう?

見た目と触感のギャップのある食材は?料理はどんなところに目をむければいいのか?

など今までにない世界を探すようになれました

今まで携帯見ながらご飯食べてたり、

音楽聴きながら味見をしていたことをやめて一つのことに集中して味見をしたり手で触ったりすることで今まで以上にやることをたくさん見つけることができました

そうなんです、一つのことに集中できることを大切にすることです

現代は音楽聴きながら、テレビのスイッチが入っていて、ゲームの攻略を考えていて、勉強しながら、テーブルにつかないでご飯を食べて、インスタやりながら、ラインで話をしている

確かに「ながら」は作業が効率に進みこともあるのだが「究極」になるとそうはいかない

集中するには「ながら」をやめることです

この感覚を得たことに感謝します

料理長

今年はこの五感を大切にして、一つ一つの素材の可能性を探り、

一つ一つの料理の質を高めていこうと思います