人生において、何事も少しだけ減らすことができたならば、その減らした分だけ俗世間から超越脱出することができる。
もし、友人との交友を減らしたならば、わずらわしさを免れるし、発言を減らしたならば、過失が少ない。
思慮を減らしたならば、精神が疲労しないし、聡明ぶりを減らしてぼんやりとしていれば、身は安全である。
それなのに世間では、日毎に減らすことをせずに、日ごとに増やすことに努めているが、まるで自分の生命に手かせや足かせをはめているようなものである
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釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) – 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。号は洪嶽、楞迦窟、不可往。日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。
小田原城址公園内のイヌマキの木
解説は童門冬二
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東京下町にて誕生。東海大学附属旧制中学卒業。海軍少年飛行兵の特攻隊に入隊。東京都に入都、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した後、1979年に退職、作家活動に専念。1960年には『暗い川が手を叩く』で第43回芥川賞候補となる。 在籍中に蓄積した人間管理と組織の実学を歴史の中に再確認し、小説・ノンフィクションの分野に新境地を拓く[要出典]。
報徳神社(2012年撮影)
7 白楽天は、「身も心も解き放し、目を閉じて自然の成り行きに任せてしまうのが良い」と言い、また、晁補之は「身も心も取り締まり、凝然と集中して精神を集中して静思に入るのが一番だ」と言う
やりっ放しで締まりのない者は放任に流れて狂ったようになり、取り収めて活動のない者は、また、度が過ぎて正気のないようになる。ただよく心身を操縦する者だけが、要点を手にして、放と収とをまことに自由自在に操ることができる